自分はいわゆる無キャであるかもしれないと自覚して少しだけ悲しくなった話
最近、Youtubeでこんな言葉を発見した。
「無キャ」
陽キャや隠キャという言葉を知っていたので、それの仲間的な存在ではあるだろうということは何となく察しはついたがそれ以上はイマイチ想像ができなかった。
とりあえず調べてみた。
無キャの定義
無キャとはどうやら↓の性質を持った人たちのことを言うらしい。
もしかしたら自分は無キャかもしれない
この定義を見て「これって自分のことじゃね!」とドキッとした。
いくつか思い当たる節があった。
趣味、個性がなくただひたすらスマホに費やす生活
聞かれて困る質問第1位が「暇な時何してんの?」だ。
実際、暇な時はYoutubeやNetflixをひたすらスマホを見ている時間が多い。
確かにブログをしたり、友達や恋人と外に出かけたりするということもあるが、それを趣味というかというとなんか違う気がする。
自分には趣味もなく、個性もない気がしてきた。
自分は無個性なのか。ヒロアカのデクの気持ちがよくわかった。
自分の意見がコロコロ変わる
「意見が変わる」これもめちゃくちゃ当てはまる。
去年自分が言っていたことと今自分が言っていることが全然違うと指摘されることがちょくちょくある。
自分でも自覚している。
しかし、少し反論させて欲しい。
自分がないというよりは他者の意見を取り入れることで自分の意見をブラッシュアップさせているという感覚だ。
20年以上生きてきて自分自身そこまで自分のことを優秀だとは思っていない。
だから失敗を避けるために自分の意見を常にアップデートしているのだ。
僕は常に情報をアップデートすることが間違っているとは思わない(言い訳)。
趣味ってそもそもなんなんだ?
僕は逆に「暇な時に何しているの?」ということをよく質問している。
帰ってきた答えとしてはこんな感じだ。
- 海に釣りしに行く
- 同僚とゴルフ
- フィギュアをお店に眺めに行く
確かにちゃんとした趣味という感じがする。
この趣味っぽさというのは他者と異なるというところと心の底から楽しんでいそうというにあるのだろう。
無キャの場合は趣味が「スマホいじり」という誰もが当てはまることを言っている。
これが無キャが無キャと言われる所以なのであろう。
結局無キャでいることは悪なのか?
僕は無キャでいることは何も悪くないと思う(自己弁護)。
なぜなら自分は今の生活は楽しいし特に不幸だと思っていないからだ。
しかし、何か真剣に打ち込める何かができたらもっと人生が豊かになるであろうということは自分でも感じている。
その人生の豊かさを得るためには新しいことに挑戦するということが必要だ。
無キャを知るという良いきっかけをもらえたのでこれからは自分の楽しさを追求するという旅に出てみようかと思った。
僕は無キャから趣味を探し求める旅人に今ジョブチェンジした。